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2012/08/16

コメント

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ブルーコンドル

『大地の子』最終章動画

http://www.youtube.com/watch?v=zxMY1M8dNY4

ブルーコンドル

『大地の子』その3

 若い頃は「水滸伝」や「三国志」の英雄、豪傑に血沸き肉躍らせたものでしたが、あの中国は何処へ行ってしまったのでしょうねえ。でも「大地の子」を読むとよき中国の片鱗を思わせる人々も登場します。作者山崎豊子女史は一時盗作問題で騒がれたこともありましたが氏の他の著書、「不毛地帯」や「二つの祖国」等、感動作は多く盗作云々など論外の本物の作家として、愛読しています。「大地の子」最終章の長江くだりの船上で主人公「陸一心」が実の父の日本への帰国の誘いをそれとなく断るくだりは涙を禁じ得ませんでした。一日も早く、よき中国に戻ってくれることを願って止みません・・・

ブルーコンドル

『大地の子』その2

 TVの画面に映し出された中国残留孤児達の顔は皆真剣で、誰の瞳にも肉身を求める、己の日本との絆を求めんとする思いが溢れ涙を誘いました・・・この番組を観た時、これらの人々の現在があるのは善きにつけ悪しきにつけ、中国の人々のやはり善意があったことに間違いはないと思いを新たにしたものです。昨今の反日デモを見て分かるように、今も残る日本への根強い反感のある国で送った過酷な人生を思うとき、同情を禁じ得ません・・・最終回へ続く

ブルーコンドル

『大地の子』その1

潤子さん、小生貴ブログでは新参なので、過去に表題が取り上げられたか否かは分かりませんが、時節柄少しお許しください。最近、尖閣に端を発し反日デモのニュースなどを頻繁に見せられると、どうしてもざらついた気持ちにさせられます。本来、中国とは遠く歴史を遡った時代から政治、経済、文化、宗教など様々な分野での交流を重ねた間柄です。ひところ、政府の招きで多くの中国残留孤児が来日して連日のようにTVなどを通じて肉親・縁者探しをしたのは周知のことです。続く・・・

Kei

潤子さん、おはようございます。
僕は長い間広島に住んでいました。
大学が広島だったので・・・
20年近く住んでいましたから、第2の故郷でしょうね。
広島と言えば原爆です。
放射能の傷跡が未だに沢山あります。
若い頃、麻酔科で研修していた時代に何故毎日甲状腺癌の手術があるのであろうと不思議に思っていました。
何時も、同じドクターが執刀していました。
チェルノブイリのドキュメント番組を見ていたらそのドクターが現地で手術していました。
1日でもはやく、平和な時代が来ることを祈ります。
現在、733アカウントです。
目指せ、1000アカウント!
Kei

しゅうせい

ホシノさん、遺憾ながら申し上げます。貴コメントの上四行、如何なものでしょうか。加えて言わせて頂けるなら「好き」とか音楽を絡ます話題ではないと思いますが…

MIWA

すみませんが、ホシノさんへ一言…。以前にも、申し上げましたが、番組内容に関する具体的なコメントは控えて頂きたいです。潤子さんがあえて、サイトアドレスをUPされている意味をお考えください。ドキュメント番組が好きかどうかではなく、戦争についてもっと深く考えていただきたいです。m(_ _)m

潤子さんへ
この場をおかりしてのコメントで申し訳ありません。

ホシノ

潤子さん、おはようございます
正確には目を背けて食事をしていたのですね。 カラー編集だし。
この種の記録映画は好きですが、今回はここまで映すかという箇所がありました。
映像的に印象に残ったのはノルマンディーの海岸で連合国兵士が弾に当たって倒れる
シーンと爆撃機が被弾して両脚が出なくなり基地に胴体着陸をする場面でした。
後者は機体の下に取り付けられたキャノピーに機銃手が閉じ込められ手を
尽くすも機内に収容出来ず、燃料切れで胴体着陸する映像でしたね。
航空機ファンとして機長と管制塔のやりとりが切なかった。

17年前に放映されたNHKとABC共同取材のドキュメンタリー「映像の世紀」の
メインテーマ曲【パリは燃えているか】↓が思い出されます。
http://www.youtube.com/watch?fmt=18&gl=JP&hl=ja&v=Iv-FTxisEpM
ドキュメンタリーはお好きなのでしょうか?
今年空港で買ったノンフィクション広田厚司著「ドイツ高射砲塔」を読みました。

MIWA

潤子さん&皆様、おはようございます。終戦から67年、様々な思いを胸に昨日という日を迎えられた方々がおられること、忘れてはいけないと思います。
私は、戦争を知りませんが、両親は元気にしていますが体験者、父は長男の兄を戦争でなくし、父親のいない大家族を養うため十代で一家の大黒柱となり働きました。戦争は、世の中を変え、人の人生を狂わせます。
67年間、戦争のない日本で良かったと思う反面、忘れてはいけない真実を、せめて終戦の日くらいは映像としてテレビが伝え考える続けることが大切なのではないでしょうか。
爆弾テロのあったスリランカに滞在し、爆音を体験しキノコ雲を見た私…その時の恐怖は、いまだ忘れられません。

ジャコちゃん

潤子さん おはようございます。私は潤子さんの10歳下です。父は戦争に行き、台湾で終戦し、捕虜になりました。2年程して帰国したそうです。一度だけ空襲が有り、手を火傷したと見せてくれていました。自分は一度も戦闘せず、誰も傷つけることがなくて良かったとも言っていました。(まぁ台湾について直ぐに終戦、しかも元々主計担当なので)台湾での捕虜生活は比較的自由で毎日野球をして楽しく過ごしたとのことです。食料事情も内地より良く、台湾の人達にも随分良くして貰ったと。でも戦時中の上官の理不尽さには相当苦しめられたようで、世の中であんなに辛いことは無かったと言っていました。(詳しくは話してくれませんでしたが)そんな父と天皇誕生日に皇居に行き、万歳したことが何度か有りますが、口癖は「戦争だけはしてはいけない」でした。自国を思う気持ちは有り、それは間違いなく愛国心ですが、それがナショナリズムに変わらないように抑制することが大切だと思います。家族を思い、仲間を思い、国を思い生きてきましたが、これからは世界を思い、地球の全ての生き物を思えるような大きな、そして優しい心を持てるようになりたいと思っています。

しゅうせい

む、重い話題…そうでしたか。
一日の施術と執筆を終えた後飲み歩き帰宅するも、就寝前にふと貴ブログ覗き酔いがさめた。自分は戦後十年経って生まれた世代、潤子様の世代とは微妙に異なるが、八月です。

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アルバム「音楽に恋してる」井川恭一

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