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2013/04/07

コメント

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ブルーコンドル

『続・花の命は短くて・・・』

 20日の余、投稿を休んでいた間も、潤子さんのご活躍の様子はブログで拝見しておりましたが、お仕事のみならずその健啖家ぶりにもいささか驚かされていましたが、それが潤子さんのパワーの源かもしれません・・・
 前稿の続きに戻しますが、小野小町から時代が下がって江戸期元禄の頃、思いを果たすことなく切腹を余儀なくされた播州赤穂の城主浅野長矩ガ切腹の場に臨んだ折りの辞世で「風さそふ花よりもなお我はまた春の名残りをいかにとやせむ」と詠みましたが、預けられた田村右京太夫邸の庭で散る桜の花に己のあっけない最後を重ねたのかもしれません。しかしながら小生などが思うに桜の花の歌の白眉は、漂泊の歌人西行法師の「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」ではないでしょうか。西行の思いからすれば
長矩の散った時だけはせめて救われるような気もするのですが・・・

ブルーコンドル

『花のいのちは短くて・・・』

 陽射しは戻ったのに強風は未だ残っています。潤子さんのお宅の綺麗な花の写真いつも有難うございます。
さて、「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と云ったのは小説「放浪記」の作者、林芙美子でしたが、今年も待ち望んだ桜がやっと咲いたと思ったのもつかの間で、無情な春の嵐が跡形もないほど何処かへ連れ去ってしまいました。
 古来、日本人の特異な美意識に「滅びの美学」というのがあり、悲観的なモチーフとして桜の花がとりあげられることは衆知の通りですが、少し例をあげれば、古今和歌集の紀友則の「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」がありますが、このような情景感賞的な詠みかたは少ないと言え、小野小町の歌では「花の色は移りにけりないたずらに我が身世にふるながめせしまに」と女の美しく輝く期間の短さを桜の花の短命に重ねて詠んでいます。以下次回に・・・

Kei♪

潤子さん、今晩は♪
コンサートお疲れ様です!
とんでもない早寝をしたらこんな時間に目覚めしまいましたわ(笑)
この年でとんでもないことを始めることになり不眠症になったのかな?
おまけの人生精一杯頑張ります。
では、おやすみなさい♪
Kei♪

ホシノ

潤子さん、ほんとうにお疲れ様でした。
ライブに行けなかったのでコメントは遠慮していましたが、標題「大井町線」
を拝見して目が覚めました。 ジャズとカクテルの町、宇都宮へ来年は必ず伺います。
来年は餃子とカクテル・ムーンリバーのツーショットをお願いしますね。

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山本潤子オフィシャル・サイトへのリンク

アルバム「音楽に恋してる」井川恭一

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